金の島ぞ妙なる

能の大成者と呼ばれる世阿弥が、佐渡に流されたのは1434年。世阿弥の最晩年を描いた作家瀬戸内寂聴が佐渡を訪れたのは、560余年を経た後でした。

配流の時には既に70歳を越え、息子に先立たれていた世阿弥は、佐渡で亡くなったのか許されて京へ戻ったのか、その最期は知られていません。ただひとつ、配所への道行きと佐渡の風物を「金島書」に残しており、瀬戸内氏はこれを底に「秘花」(2007年)を描きました。それは、世阿弥の悔いや情念が、佐渡の自然と人の情によって溶かされてゆく物語になりました。

山はおのづから高く、海はおのづから深し。語り尽くす、山雲海月の心、あら面白や佐渡の海、満目青山、なおおのずから、その名を問えば佐渡という、金(こがね)の島ぞ妙なる

金島集

京を発した世阿弥は、福井県の小浜から船に乗り、大田の浦(今の多田)に着きます。現在の佐渡航路は両津が最も大きな港ですが、江戸時代以前は本土側の寺泊と最短距離にある松ヶ崎が佐渡の玄関口で、多田はそのすぐ隣に位置しています。

笠取峠に向かう道すがらにある展望台からの眺め。岬が松ヶ崎で、真下が多田。このあたりが本州に最も近く、古代から国津となっていました。世阿弥に限らず流罪となって佐渡へ渡った貴人の多くは、このあたりから上陸しています。

海の色は底昏さを湛えて濃いが、空の碧さは不思議に透明で…心を酔わす神秘さを秘めている。…鬱積した憂悶に一陣の風を吹き入れてくれた。

秘花

瀬戸内氏は、佐渡へ分け入った世阿弥の心象を、このように描きます。海辺で一晩を過ごし、翌日は山越えをして国府(現在の真野)のある平野部に入り、世阿弥の流人としての暮らしが始まります。

金の島ぞ妙なる罪なくて、配所の月を見る事はほととぎす申楽は観衆に福寿を招来する呪術なのだ

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