歴史の断面

古代から中世、江戸時代、そして現代にいたるまで、佐渡がどのように成り立ち、発展していったのか。その歩んできた歴史を時代別に、簡単にご紹介いたします。

古代〜中世

佐渡も日本の他の地方と同じように、島内各地の遺跡から1万年以上も前の古代から人が住んでいたことがわかっています。

佐渡にはっきりと本土から人や文化が入ってくるのは日本が国として出来上がった8世紀頃から。佐渡はすでに一国として750年頃に国府が置かれ、国司も派遣されていました。佐渡市国分寺、小比叡の蓮華峰寺、長谷の長谷寺などの存在がそのことを物語っています。また佐渡が伊豆や隠岐とともに遠流の地と定められたのもこの頃です。

奈良時代、養老6年(722)歌人の穂積朝臣老の以来、室町時代、永享6年(1434)の世阿弥(観世元清)まで70名余りが佐渡に流されました。そのほとんどが政争に敗れた文化人や知識人、貴族階級者であったため彼らの都ぶりがさまざまな形をとって佐渡に伝えられ、今に残る佐渡の文化・思想・建築・芸術・芸能の基盤となりました。

金山の時代

佐渡が歴史上に別の形で注目されるようになったのは、佐渡金山の発見から。古くから金銀が取れるところとして知られていた佐渡に有望性を見出した徳川家康が、幕府の天領として金山開発を進めたことから始まります。最盛期の17世紀初めには世界一といわれるほどの産出量を誇り、それまで寒村であった相川地区は人口4万人もの大きな町に膨れ上がりました。また、金の積出港としての小木地区も栄え、そこを窓口に新しい文化も入ってきました。

江戸末期〜現代

江戸末期になると幕府の財政を支えてきた金山もすっかり産出量が減り、明治になると日本が世界の仲間入りをしたのに引き換え、佐渡は金山とともに時代に取り残されていきました。それまで佐渡の玄関口であった小木港や赤泊港は次第にさびれ、代わって両津港が発展するようになりました。両津港は安政5年(1858)の日米通商条約で開港した新潟港の補助港に指定されてから佐渡の表玄関として登場し、いまや新潟・両津港路は佐渡へのメイン航路となっています。

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