佐渡の旅
モデルコースのご案内

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歴史 神社

史跡と歴史ロマン漂う国中地区

  • 出発
    人面岩(立岩)

    真野から小木へと向かう越の長浜にそびえる高さ10mほどの奇岩。緑色を帯びた安山岩で、遠くを見つめる人間の横顔に見えることから「人面岩」と呼ばれています。真野湾をバックにした記念撮影の人気ポイントでもあり、数ある佐渡の奇岩群のなかでもひと際、異彩を放つ存在として知られています。

  • 車で約5分
    目的地B
    佐渡歴史伝説館

    佐渡の歴史や伝説を等身大ロボット人形がリアルに再現。1階は、順徳上皇の配所の月、日蓮聖人の塚原問答、世阿弥の雨乞いの舞など、有名なシーンを精緻な動きで伝えます。2階には佐渡の風土をテーマにした写真とオブジェを設置。人間国宝・佐々木象堂記念館(蠟型鋳金)も併設。佐渡の味覚を味わえる食事処も人気です。

  • 車で約3分
    目的地C
    真野宮

    御火葬塚の管理をしていた真輪寺が明治の廃仏毀釈を経て、1874年に県社に認められ「真野宮」と改称しました。順徳上皇の他に菅原道真、日野資朝を配祀。現在の社殿は1920年に造営されたもので、1942年の700年祭には鳥居、神橋、神門、社務所を新設して参道を広げ神域が拡張されています。順徳天皇御遺品と伝えられる短刀、硯、扇子、釣花生などが社宝として保管されています。

  • 車で約1分
    目的地D
    真野御陵

    正式には「順徳天皇御火葬塚」。順徳上皇は「承久の乱」で佐渡配流となり、在島22年の末1242年、46歳で崩御。翌日火葬され、その跡に松と桜を植え目印としたのがこの火葬塚です。御遺骨は翌年帰京。父帝・後鳥羽上皇墓所のかたわらに安置されました。火葬塚は御陵と同格扱いで宮内庁の管理。近くに順徳上皇を祀った真野宮があります。

  • 車で約2分
    目的地E
    石抱の梅

    真野御陵に向かう道沿いの民家の庭先にあります。遷幸のときの駕輿丁の子孫、式部長吉の屋敷跡と伝わる場所で、梅は順徳上皇のお手植えと口承されてきました。樹齢750年余とも言われる古木の根元に大きな石を抱いている姿から「石抱の梅」と呼ばれています。毎年3月中旬頃に初々しい薄紅色の花を咲かせます。

  • 車で約12分
    目的地F
    佐渡国分寺

    764年に落成したとされる「佐渡国分寺」は落雷や大火により幾度となく焼失しましたが、その東側に現在の国分寺があります。詳しい建立年代は不明ですが江戸初期と言われています。境内には本堂のほか「仁王門」「瑠璃堂」「鐘楼」などが点在。収蔵庫には、火災を免れた本尊の木造薬師如来(国の重要文化財)を安置しています。

  • 車で約5分
    目的地G
    世尊寺

    緑の庭園が美しい古刹。本堂など6堂宇が国の登録有形文化財となっています。順徳上皇を警護して佐渡に渡った北面の武士遠藤盛国が、のちに日蓮に巡り合い帰依。日蓮の高弟・日興を開山と仰いで開いた道場。日蓮上人直筆の曼荼羅が残るほか、赦免となり佐渡を離れる際、渋手(真野地区)の浜で描いたという日蓮筆「大黒天画像一軸」を所蔵。馬堀法眼喜孝画伯が「渋手大黒天」を寄進。「佐渡七福神巡礼コース」の1つです。また、サツキの名所としても知られます。

  • 車で約5分
    目的地H
    大膳神社

    大和飛鳥路に例えられた田園風景に大膳神社が鎮座。地頭・本間山城守によって日野資朝、大膳坊が合祀され、正殿には御食津大神を祀ります。資朝の子・阿新丸が佐渡に渡り、親の刑死の無念を晴らした際、逃亡を助けた大膳坊は処刑。御坊の怨霊を鎮めるために、勧進されたとされます。1846年に再建された茅葺き寄棟造りの能舞台(県の有形民俗文化財)は、定能が盛んであった「国仲四所の御能場」の1つ。佐渡に現存する最古の能舞台と伝わります。現在も4月18日の祭礼には奉納能、6月には能と鷺流狂言が上演されています。

  • 車で約5分
    ゴール!
    妙宣寺

    佐渡配流の日蓮に仕え、熱心な法華経信者となった遠藤為盛(阿佛房日得上人)。1278年、妻の千日尼と共に自宅を寺として開いたのが始まりと伝わります。かつては佐渡守護代竹田本間氏の居城で、今もどことなく城跡の雰囲気を残しています。境内には、県内唯一の五重塔はじめ、「正中の変」で佐渡配流となった日野資朝の墓などがあります。