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- 歴史・名所
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伝説安寿塚(鹿野浦)
森鷗外の『山椒太夫』で知られる安寿と厨子王の物語。佐渡にはまた違う物語が伝わっており、安寿伝説が残る地がいくつかあります。母と再会しながらも安寿が息絶えた場所と伝わる外海府の鹿野浦もその一つ。南片辺トンネルを過ぎ、鹿ノ浦トンネルを出た海側の田んぼのなかに安寿塚が見えてきます。
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神社・仏閣石名清水寺
807年開基と縁起にある古刹。山門脇に湧き出る清水は、木食行者たちの修業霊山でもある奥の院・檀特山(だんとくさん)の霊水です。佐渡で悟りを開いた木食弾誓を慕い、その約190年後の1781~1789年に来島した遊行僧・木喰行道が、弾誓修業の地に釈迦堂を再建し、「薬師如来坐像」「地蔵尊立像」などを残しています。境内の大イチョウは市の天然記念物で、「子授けイチョウ」や「胃腸病の霊現木」として信仰されています。
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史跡・遺跡英国機着陸記念塔
終戦直後の1946年1月、高千村入川(現佐渡市入川)にイギリスの軍用輸送機「ダコタ」が不時着。5ヶ月前まで敵国だった英兵たちを受け入れた高千の人々は、彼らとともに浜に石を運んで仮設の滑走路造りを行います。40日後、「ダコタ」は無事に飛び立ちました。この史実を記念した石碑が「高千小中学校」前に建っています。
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史跡・遺跡大立竪坑
日本最古の西洋式竪坑。ドイツ人技師らの手により1875年に開削が始まり、1877年に完成。地下エレベーターによる垂直の運搬坑道です。断面は約5.7m×3.3mの矩形で、最終深度は352mにも及びます。巻き上げ機の動力は、当初の馬力から蒸気機関、電動機へと変遷。平成元年の操業停止に至るまで常に採掘の中心でした。
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史跡・遺跡大間港
明治25年(1892年)、コンクリート工法以前の石灰等を用いた「たたき工法」により完成した港で、鉱石の搬出や石炭などの鉱山の資材搬入に使われました。現在も石積護岸やトラス橋、ローダー橋脚、クレーン台座が残されています。
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神社・仏閣 能舞台春日神社
能楽師出身である佐渡代官(初代佐渡奉行)の大久保長安により、相川春日崎に春日神社が建てられたのは1605年で、1619年に現在の場所に移されました。1645年に能舞台が建てられ、佐渡で初めて神事能が奉納されます。現在の舞台は、羽茂滝平の諏訪神社から譲られ、2006年に移築。春日神社建立400年を機に地元住民の熱意により実現したものです。毎年数回の薪能をはじめ、いろいろな催しが行われています。
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その他ガシマシネマ
佐渡・相川金銀山と奉行所とを結ぶ、歴史の深い京町通りに面しています。昭和10年代に、佐渡金山鉱山長の社宅として建てられた家屋を、従来の風合いそのままに改装しました。月替わりで、毎日映画を上映しており、上映作品に合わせた「今月の本棚」コーナーもあります。また、この街で実際に稼働していた、古いカーボン式映写機も展示しています。元・鉱山都市を巡る歴史散歩途中のお茶処としても、どうぞご利用下さい。
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史跡・遺跡北沢浮遊選鉱場
相川の北沢地区には発電所やシックナーなど鉱山の近代化に貢献した施設群(国の史跡)が密集しています。もともとは銅の製造過程で行われていた技術であった浮遊選鉱法を金銀の採取に応用し、日本で初めて実用化に成功したものです。戦時下の大増産計画によって大規模な設備投資がされ、1ヶ月で50,000トン以上の鉱石を処理できることから「東洋一」とうたわれました。観光シーズンにはライトアップも実施中。
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史跡・遺跡旧相川拘置支所
相川の京町通りを山側に上って行くと、蔦の這う高さ3mほどのコンクリート塀が見えてきます。1954年に新潟刑務所相川拘置支所として開設、佐和田地区に移転する1972年まで使用されていました。現存する木造拘置所としては全国的にも珍しく、国の登録有形文化財となっています。内部は無料で一般公開されており、自由に見学できます。
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史跡・遺跡佐渡奉行所跡
金脈の発見により、佐渡は天領(幕府の直轄地)となり、1603年、相川に「佐渡奉行所」が置かれました。奉行の住居もあった広い施設のうち、2000年に「御役所」部分を復元。「役所」や「白洲」などの司法・行政の場に加えて、金銀を精製する「寄勝場(よせせりば)」の機能を併せ持つ、佐渡特有の奉行所の形態を忠実に復元しています。
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史跡・遺跡鎮目市左衛門の墓
鎮目市左衛門は、桃山~江戸時代初期の武将。関ケ原の戦いでは徳川家臣として活躍。1618年に佐渡奉行に着任後、さまざまな施策を実行し、金銀山の復興に尽力した名奉行として名を残しました。お墓はその業績をたたえ、1845年に建てられたものです。奇観「弁慶のはさみ岩」と佐渡金銀山関連資産の「吹上海岸石切場跡」が隣接しています。
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史跡・遺跡史跡 佐渡金山
佐渡金銀山400年の歴史を伝える史跡。宗太夫坑では、人形を使って当時の採掘作業を忠実に再現。道遊坑には、明治期以降の近代化産業遺産群が残ります。さらに「東洋一の選鉱場」「日本初の西洋式竪坑」などの産業遺産も周辺に良質な状態で保存されており、壮大なスケールに驚かされます。
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史跡・遺跡時鐘楼
相川市中の時報は、佐渡奉行所内の太鼓により1709年に始まったといわれます。初の「時鐘」は、佐渡奉行・荻原重秀の命により1712年、佐渡の出銅で鋳造。1871年頃まで町民に時刻を知らせたのち中断していましたが、近年になって再び朝夕撞かれています。煉瓦壁は旧裁判所のもので、中は佐渡版画村美術館となっています。
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伝説達者海岸
安寿と厨子王の姉弟が母と生き別れになる悲話『山椒大夫』。この地は、成長した厨子王と佐渡で盲目となった母が再会し、互いの「達者」を喜んだとされる場所。母の目を治した湧き水を祀る「目洗い地蔵」も地区の人々が大切に守っています。景勝地、尖閣湾の一角にあり、おだやかな入り江を形成する海岸は、佐渡を代表する海水浴場です。
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神社・仏閣大安寺
慶長11年(1606)、初代佐渡奉行・大久保石見守長安が創建した寺。山門へ登る長い石畳が美しく、本堂には「三つ葉葵」の寺紋を掲げています。長安が自分のために生前に建立した「逆修塔」、黎明期の佐渡金銀山の開発に努めた河村彦左衛門の供養塔「五輪塔」があり、両者は国指定の史跡。佐渡奉行所役人の墓も数多く残ります。 墓地の背後には、佐渡市の天然記念物に指定されているみごとなタブの林があります。鉱山発展による急激な都市化は、相川の自然を大きく変化させました。その中で変わらぬ原植生を伝えているのが寺や宮の森。大安寺の鬱蒼とした自然林も、タブの巨木・ヤブツバキ・マサキなど多くの植物が生育しています。
相川エリア -
史跡・遺跡鶴子銀山
沢根五十里の山中に残る佐渡最大の銀山跡。1542年、越後国の商人によって発見されたとされ、のちに石見銀山の山師を招いて本格的な採掘を開始。600を超える採掘の痕跡が確認されています。眼下の沢根地区は銀山の港として繁栄。鶴子銀山で培われた技術や経験は、やがて山向こうの相川金銀山の開発・運営へと引き継がれます。
相川エリア、国中エリア -
史跡・遺跡道遊の割戸
佐渡金銀山の中でも開発初期の採掘地とされる江戸時代の露天掘り跡。巨大な金脈を掘り進むうちに山がV字に割れたような姿になっています。山頂部の割れ目は、幅約30m、深さ約74mにも達します。道遊脈と呼ばれる脈幅約10mの優良鉱脈を有しており、明治以降も割戸の下部で大規模な開発が行われました。
相川エリア -
伝説弁慶のはさみ岩
県道45号線沿い、下相川の浜にある奇観。巨岩と巨岩の間に、くさび型の岩がすっぽりと挟まっています。その昔、佐渡弁慶ら山伏一行が相川から金北山へ修行に行く途中、待ち伏せした鬼が力比べを所望。その際に佐渡弁慶が投げ飛ばした岩が下相川の浜まで飛んできたと伝えられています。名奉行「鎮目(しずめ)市左衛門の墓」と佐渡金銀山関連資産の「吹上海岸石切場跡」が隣接しています。
相川エリア -
史跡・遺跡無宿人の墓
1853年に水替人足として働き坑内で亡くなった無宿者28名の出身地、戒名、名前、年齢を刻んだ墓碑が山中に建っています。江戸をはじめ、幕府直轄地であった大阪、長崎から1800余人の無宿者が送られました。幕府の治安対策で捕えられた住所不定の人たちです。過酷な労働で、その寿命はとても短かったといいます。
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史跡・遺跡 伝説目洗い地蔵
安寿と厨子王で有名な『山椒大夫』。盲目になった母と厨子王が再会し、「達者で会えて良かった」と喜び合ったのが佐渡の達者海岸です。母の目を洗うと目が開いたと伝わる湧水の場所には今も清水が湧き出ており、目洗い地蔵が祀られています。近くには「安寿地蔵堂」が建てられ、地元の人によって清水を利用した風呂が開放されています。
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