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- 歴史・名所
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伝説赤亀岩
「赤亀・風島なぎさ公園」の海水浴場から望む鉄石英の赤い大きな岩。中央部に空洞のある奇岩で、亀の親子が寄り添っているようにも見えます。「昔、水津の漁師が大時化に遭った際、大きな亀が現れ、船はその背に乗って港に戻った。亀は岩となり、村人たちは“赤亀”と名付けた」。そんな言い伝えが残る奇岩で、赤亀明神を祭る祠があります。
両津エリア -
伝説安寿塚(鹿野浦)
森鷗外の『山椒太夫』で知られる安寿と厨子王の物語。佐渡にはまた違う物語が伝わっており、安寿伝説が残る地がいくつかあります。母と再会しながらも安寿が息絶えた場所と伝わる外海府の鹿野浦もその一つ。南片辺トンネルを過ぎ、鹿ノ浦トンネルを出た海側の田んぼのなかに安寿塚が見えてきます。
相川エリア -
伝説安寿塚(畑野)
『安寿と厨子王』の伝説が2つに分かれて残る佐渡。畑野は、母と姉弟が再会を果たし京へ帰る途中、安寿が息を引き取ったとされる地。愛用の櫛などの遺品を埋めた跡に建てられたと伝わるのがこの塚です。古くより、豊作祈願、縁結び、眼病平癒に霊験のある場所として崇敬を集めており、夏に安寿天神まつりが開催されています。
国中エリア -
神社・仏閣 能舞台安養寺羽黒神社
772年に出羽の羽黒神社から勧請されたといわれる神社で、杉の巨木に囲まれ、鬱蒼とした鎮守の森に本殿が調和しています。小さな集落である安養寺は、古くから例祭には鬼太鼓の代わりに能を奉納してきました。江戸時代末期の建築と伝えられている茅葺き寄棟造りの能舞台(県の有形民俗文化財)は、かつて社殿と向き合う形で参道上にありましたが1909年頃に移築・増築され、佐渡に現存する能舞台の中では最も小さいものです。
国中エリア -
史跡・遺跡石臼塚
羽茂地区小泊は、隣接する真野地区椿尾と共に石工で栄えた土地。小泊の石工たちは石仏の作者としても名を馳せました。生活必需品だった石臼も時代が進むにつれ忘れられていきます。これを惜しんだ地元の人々によって築かれたのが石臼塚。1977年、各家庭の石臼が集められ、地区内の白山神社に奉納されました。
南佐渡エリア -
神社・仏閣石名清水寺
807年開基と縁起にある古刹。山門脇に湧き出る清水は、木食行者たちの修業霊山でもある奥の院・檀特山(だんとくさん)の霊水です。佐渡で悟りを開いた木食弾誓を慕い、その約190年後の1781~1789年に来島した遊行僧・木喰行道が、弾誓修業の地に釈迦堂を再建し、「薬師如来坐像」「地蔵尊立像」などを残しています。境内の大イチョウは市の天然記念物で、「子授けイチョウ」や「胃腸病の霊現木」として信仰されています。
相川エリア -
史跡・遺跡岩屋山石窟・摩崖仏
宿根木集落の背後、岩屋山中腹の霊験あらたかな洞窟。岩肌に様々な半肉彫りの仏像が彫られています。境内には四国八十八ヶ所霊場になぞらえた88体の石仏が並んでおり、地元では「岩屋さん」と呼ばれ親しまれています。信者は洞窟におこもりをして、座ったままで御詠歌や念仏を唱える「ねまり遍路」を行います。
南佐渡エリア -
神社・仏閣 能舞台牛尾神社
「潟上の天王さん」の名前で親しまれる古社。792年「出雲大社」より大国主命などを勧請して建立。再建された拝殿には鯉の泳ぐ姿や順徳上皇の物語絵など精緻な彫刻群が施され、当時の棟梁や名工たちの技術が偲ばれます。拝殿前の樹齢約1千年の御神木は、子授け・安産の杉として信仰されています。1901年に再建された瓦葺き正面入母屋造り・背面寄棟造りの能舞台(県の有形民俗文化財)は、定能が盛んであった「国仲四所の御能場」の1つに数えられます。演能の歴史も古く、室町期の能面「翁面」と「三番叟面」(県の有形文化財)が社宝として保管されており、毎年6月には例祭宵宮薪能が演じられています。
国中エリア -
史跡・遺跡英国機着陸記念塔
終戦直後の1946年1月、高千村入川(現佐渡市入川)にイギリスの軍用輸送機「ダコタ」が不時着。5ヶ月前まで敵国だった英兵たちを受け入れた高千の人々は、彼らとともに浜に石を運んで仮設の滑走路造りを行います。40日後、「ダコタ」は無事に飛び立ちました。この史実を記念した石碑が「高千小中学校」前に建っています。
相川エリア -
神社・仏閣 能舞台大崎白山神社能舞台
山あいの風景のなかを羽茂川沿いにさかのぼる大崎地区。鎮守・白山神社が宮本寺と隣接して建っています。端正に組まれた石垣が美しく、鳥居の先に鎮守の杜につつまれた拝殿が見えてきます。高度な精神文化を育んできた大崎地区を象徴するような静謐な空間です。また、大崎地区は、「ちょぼくり」「文弥人形芝居」など豊かな芸能を継承しており、能についても佐渡の中でも特に盛んな地域とされています。境内の能舞台は、寄棟造妻入の茅葺で、本舞台と後座からなります。鏡板には松と竹。鐘穴も備えています。舞台様式とともに能文化継承の功績により、市の文化財に指定されています。
南佐渡エリア -
史跡・遺跡大立竪坑
日本最古の西洋式竪坑。ドイツ人技師らの手により1875年に開削が始まり、1877年に完成。地下エレベーターによる垂直の運搬坑道です。断面は約5.7m×3.3mの矩形で、最終深度は352mにも及びます。巻き上げ機の動力は、当初の馬力から蒸気機関、電動機へと変遷。平成元年の操業停止に至るまで常に採掘の中心でした。
相川エリア -
史跡・遺跡大間港
明治25年(1892年)、コンクリート工法以前の石灰等を用いた「たたき工法」により完成した港で、鉱石の搬出や石炭などの鉱山の資材搬入に使われました。現在も石積護岸やトラス橋、ローダー橋脚、クレーン台座が残されています。
相川エリア -
伝説乙和池
大佐渡スカイラインの大平高原付近、道路沿いの案内板から林道を600mほど入ると、ブナやミズナラの林に包まれて「乙和池」が神秘的な姿を見せています。深山の天然池として、周囲の自然林と共に貴重な乙和池は、県の天然記念物。池の中には、日本最大級の高層湿原性浮島があり、アメリカマンネンゴケ、カタマリスギゴケなど20余種の植物が生育しています。浮島の中央には、浮揚の役目を持つと言われるハート型の穴が開いておりロマンティックな趣も漂います。池の主「大蛇」に見初められて入水した美しい娘「おとわ」の伝説がこの名称の由来となっています。
国中エリア -
神社・仏閣小布勢神社
椿尾石工の作という歴史ある狛犬の先には、カシやタブなどが生育する広い境内。室町時代、西三川の地頭本間山城入道の建立と伝わります。ご神体は本殿裏にある石の柵に囲まれた御食石(みけいし)。神の降臨する場として神聖視されており、神事もこの石に対して行います。付近から「子持勾玉」なども発見され、古代祭祀遺跡としても貴重な存在です。
国中エリア -
神社・仏閣海潮寺
「矢島経島」へと下りる坂道の途中にある曹洞宗の古刹。本堂前に2本並ぶ「御所桜」は、順徳上皇の御手植えと伝わる桜。1本の枝に一重と八重の白い花が混じり咲く珍しい桜で、国の天然記念物です。開花時期は4月下旬~5月上旬。
南佐渡エリア -
神社・仏閣 能舞台春日神社
能楽師出身である佐渡代官(初代佐渡奉行)の大久保長安により、相川春日崎に春日神社が建てられたのは1605年で、1619年に現在の場所に移されました。1645年に能舞台が建てられ、佐渡で初めて神事能が奉納されます。現在の舞台は、羽茂滝平の諏訪神社から譲られ、2006年に移築。春日神社建立400年を機に地元住民の熱意により実現したものです。毎年数回の薪能をはじめ、いろいろな催しが行われています。
相川エリア -
その他ガシマシネマ
佐渡・相川金銀山と奉行所とを結ぶ、歴史の深い京町通りに面しています。昭和10年代に、佐渡金山鉱山長の社宅として建てられた家屋を、従来の風合いそのままに改装しました。月替わりで、毎日映画を上映しており、上映作品に合わせた「今月の本棚」コーナーもあります。また、この街で実際に稼働していた、古いカーボン式映写機も展示しています。元・鉱山都市を巡る歴史散歩途中のお茶処としても、どうぞご利用下さい。
相川エリア -
能舞台加茂神社能舞台
天仁2年(1109)の源義綱(加茂次郎)の佐渡配流を端緒とし、義綱が元服した京都山城国・加茂神社の分霊を勧請し創建されたと伝わります。その後現在地への移転を経て、元禄7年(1694)に再建。拝殿の奥にある本殿は佐渡では珍しいサヤ掛けが施されています。鶏を「使わしめ(神のつかい)」とする神社でも知られ、建物に鶏の木鼻が見られるほか、「鶏大絵馬」(市指定有形文化財)はじめとするいくつかの鶏の小絵馬が奉納されています。 また、中原の若一王子神社、竹田の大膳神社、潟上の牛尾神社とともに「国仲四所の御能場」といわれた由緒ある演能の場。神社裏手には佐渡を代表する独立型の能舞台があります。8月に加茂神社夜能が行われます。
国中エリア -
その他北一輝の墓
生家に近い両津湊地区の勝広寺が菩提寺で、お墓は少し離れた、原黒(椎崎)の田園地帯を望む勝広寺青山墓地にあります。北家代々の墓があり、その一角に静かに眠っています。明治期~昭和初期にかけての思想家・社会運動家の北一輝の墓には、いまも墓参りに訪れる人たちにより花が手向けられています。
両津エリア -
史跡・遺跡北沢浮遊選鉱場
相川の北沢地区には発電所やシックナーなど鉱山の近代化に貢献した施設群(国の史跡)が密集しています。もともとは銅の製造過程で行われていた技術であった浮遊選鉱法を金銀の採取に応用し、日本で初めて実用化に成功したものです。戦時下の大増産計画によって大規模な設備投資がされ、1ヶ月で50,000トン以上の鉱石を処理できることから「東洋一」とうたわれました。観光シーズンにはライトアップも実施中。
相川エリア -
史跡・遺跡旧相川拘置支所
相川の京町通りを山側に上って行くと、蔦の這う高さ3mほどのコンクリート塀が見えてきます。1954年に新潟刑務所相川拘置支所として開設、佐和田地区に移転する1972年まで使用されていました。現存する木造拘置所としては全国的にも珍しく、国の登録有形文化財となっています。内部は無料で一般公開されており、自由に見学できます。
相川エリア -
神社・仏閣 能舞台草苅神社
拝殿へ続く参道の灯籠が印象的。江戸中期には「八王子牛頭天王」などと呼ばれ農業の神として信仰を集めました。「祇園羽茂神社」の呼び名を経て、1870年に古い地名「草苅の里」に因んで改称。6月15日の羽茂まつりでは、薪能や神楽の一種「鬼舞つぶろさし」(県の無形民俗文化財)が奉納されることでも知られます。明治期以前の建築と推定される能舞台(県の有形民俗文化財)は、茅葺き正面入母屋造り・背面寄棟造りで田園風景に溶け込みながらも、堂々とした風格を感じさせます。
南佐渡エリア -
その他倉谷の大わらじ
真野地区の大倉谷では、正月に巨大わらじを作り、早春に集落の両端に吊るす風習が伝わっています。この大わらじは「この村にはこんな大男がいるぞ」と誇張し、禍や悪人除けとする一種の道祖神です。毎年3月に掛け替えが行われ、現在も国道350号線沿いに幅約1メートル、長さ1.8メートルのわらじが飾られています。
国中エリア -
史跡・遺跡黒木御所跡
1221年の承久の乱により佐渡に配流された順徳上皇の行宮跡。樹皮つきのままの木材で造営された粗末な宮は黒木御所と呼ばれました。現在の塚は、明治期に地元の川上賢吉氏の首唱により整備されてきたものです。昭和天皇の御手植えの松をはじめ多くの松が生い茂る敷地内には、斎藤茂吉や与謝野寛らの句碑、歌碑が立っています。
国中エリア -
神社・仏閣慶宮寺
大日如来を本尊とする真言宗の寺で807年開基。寺名は、順徳上皇第一皇女慶子宮が日々を過ごされた言い伝えに由来します。皇女が福禄寿尊天を念持されたことから、馬堀法眼喜孝画伯が「神護福禄寿」を寄進。「佐渡七福神巡礼コース」の1つです。回転装置付きの八角形の厨子を備えた「八祖堂」は、県の有形文化財。
国中エリア -
神社・仏閣 能舞台氣比神社能舞台
国道350号線沿いの高崎地区から山側に入った椿尾地区に鎮座しています。天正年間(1573~92)に、福井県敦賀の気比神宮を分霊したことに始まると伝わります。椿尾は江戸時代に石工の村として栄えたところ。境内には見ごとな狛犬や文政年間(1818~1830)に名石工五平を世話人として作られた石灯篭が置かれています。 また、椿尾は西三川派のワキ師を排出した土地柄でもあり、古くから能が盛んな地域。能舞台は明治 35 年に地元能愛好者たちの熱意により旧拝殿を改造・移築したものです。傷みが激しく朽ちる可能性が出たことから平成22年(2012)に修復が行われました。佐渡の能舞台様式を備える重要な舞台の一つで、市の文化財に指定されています。
国中エリア -
神社・仏閣 能舞台小泊白山神社能舞台
国道350号線に面して建っています。清掃された境内、手入れの行き届いた社殿が印象的。屋島で敗れた平宗清がこの地で祠を建てたのが始まりと伝承されています。小泊は隣接する真野地区椿尾とともに石工で栄えた土地。見事な狛犬に迎えられる境内には、各家庭の石臼を集めて奉納した石臼塚があることでも知られています。 平成22年(2012)に修復が行われた能舞台が社殿向かって右に配されています。本舞台と後座からなり、地謡座、貴人口、天井の鐘穴もあります。背面の鏡板には松、東側には竹が描かれています。橋掛りが鏡の間に延び、鏡の間は拝殿に接しています。能舞台は市文化財指定。
南佐渡エリア -
神社・仏閣小比叡神社
「蓮華峰寺」境内に隣接する旧鎮守で、明治時代に分離して神社となりました。石造明神鳥居と覆屋内にある本殿は国の重要文化財。鳥居には、1608年、佐渡代官(初代佐渡奉行)の大久保長安と弟の安政が檀那となり、同寺住職・快宥が建立との刻銘があります。茅葺の拝殿では、2月に豊作祈願の「田遊び神事」が行われます。
南佐渡エリア -
神社・仏閣根本寺
日蓮聖人が他宗の僧と問答を戦わせ、「開目抄」を著した場が境内の「三昧堂」と伝わっており、「観心本尊抄」などを著した佐和田地区にある妙照寺と並び日蓮宗の霊跡となっています。江戸時代には、金山の山師たちがその財力で建立・寄進した「祖師堂」や「本堂」など、約1万7千坪の境内に、堂宇29棟が建ち並びます。
国中エリア -
史跡・遺跡賽の河原
奇岩「大野亀」と「二ツ亀」をつなぐ海沿いの遊歩道。「願」(ねがい)集落から10分ほど歩くと賽の河原に出ます。海食洞穴には、「地蔵菩薩」を中心に無数の石地蔵が静かに並んでいます。冥途との境と言われる賽の河原は、幼くしてなくなった子供の霊が集まる場所と言われ、昔から篤く信仰されています。
両津エリア